リベンジ設定。
ディエゴ・ガルシア海軍基地にて、アーシーとバンブルビー。
「バンブルビー、この基地で共に暮らすに当たって、あなたに言っておきたいことがあるの」
ディエゴ・ガルシア島に着くなり恐いくらい真摯な顔をしたアーシーにそう詰め寄られ、バンブルビーは些かたじろいだ。間近に迫ったアーシーが醸すあまりの迫力に、サムと遠く離れて暮らさなければならなくなった不満や寂しさも一時吹き飛ぶ。
「いいこと? よく聞きなさい」
バンブルビーは、ただこくこくと頷いた。これは何も、彼の声帯モジュールが未だ不調なせいばかりではない。もしバンブルビーの発声機能がたった一点の曇りもなく快復していたとしても、この状況ではやはり声もなく頷くより他なかっただろう。
それほど、アーシーの迫力は際だっていた。
もう少し平たく言うと、恐かった。
しかしアーシーはそんなバンブルビーの恐慌になど目もくれず、ただその従順な仕草に満足したように深く頷いた。
地球滞在歴はオートボットたちの誰より長いとはいえ、このディエゴ・ガルシア海軍基地ではバンブルビーは新参者である。克てて加えて、メンバーはフーバーダムに間借りしていた頃より随分増えた。
この団体生活を順調且つ円満に送るために、何か重要な規則でもあるのだろうか。
知らず居住まいを正してアーシーの言葉を待っていたバンブルビーは、しかし
「まず第一に、ひと気のないところでカームモードにならないこと」
徐に口を開いたアーシーがそんなことを言ったので、一瞬沈黙した後、盛大にクエスチョンマークを浮かべてセルリアンブルーの瞳を瞬かせた。更に、こてんと首を傾げる。
『え? アーシー?』
「どうしても必要があって眠らなくちゃならないときは、なるべく私たち皆がいるところになさい。少し煩いかもしれないけど、我慢できなければ聴覚器系統のセンサーを切ってしまえばいいんだから、そんなに問題はないわよね?」
『アーシー、待って、ひと気のないとこで寝ちゃ駄目って、なんで?』
「バンブルビー、あなたに言いたいことはこれ一つじゃないの、まだまだあるのよ。だから取りあえず黙って最後まで聞きなさい」
ため息を吐きつつ窘めてくるアーシーは、やはりえらい迫力で。
『………ハイ』
バンブルビーは元々小さい体を更に小さくして、ただ従うより他なかった。
確かに彼は若年ながら、他のどんな歴戦のオートボットにも負けない勇気の持ち主だけれど、だからといって愚かしい蛮勇まで持ち合わせているわけではない。絶対に逆らっちゃあならない、と本能で分かる相手というのは、やはりいるのだ。
それは例えばラチェットであり、そしてまたこのアーシーである。
「興味深い映像を見つけたぞ、とか、美味しいエネルゴンキューブがあるんだがどうだね、なんて言われても、絶対について行っては駄目」
おいらそんなにこどもじゃないや。
と、バンブルビーは心の中で呟く。実際のメッセージとしてアーシーに送らなかったのは、臆したか、それとも或いは学習したのか。
とまれ、バンブルビーが口を挟まなかったので、アーシーは更に続けた。
「任務以外で二人で出掛けようなんて誘われても、それもついて行っては駄目。
遠くまで行くのでなくても、……そうね、二人で静かに星を眺めようか、なんてお誘いもきっぱり断りなさい。
それから、エネルゴン酒も出来るだけ飲まない方が良いわ」
『なんで!』
つとめておとなしく、ひたすら黙って聞いていたバンブルビーも、これには堪らず声を上げた。……無論、実際の声ではないが。
しかしそんなバンブルビーを、アーシーはじろりと一睨み。その睥睨の鋭さにバンブルビーが少しばかりたじろぐや、これ見よがしに深いため息を吐いて見せた。
「だって、バンブルビー、あなた、てんでお酒は弱いじゃないの。いつもほんの一杯たらずですっかり酔っ払っちゃって。それとも、アーク号で旅している間に強くなったの?」
『それは、強くなって、……ない、けど、でも、……だけど!』
そうだ。確かにバンブルビーはアーシーに指摘されたとおり、アルコールにはまるっきり弱い。マグ一杯で酔っ払って、ぐでんぐでんになってしまう。それは、バンブルビーだって自覚してる。自覚、しているけれど、でも、それでもバンブルビーは酒を飲むのが好きなのだ。ふわふわして、訳もなく楽しくなって、気持ちが良い。
でも弱い。時々悪酔いもする。とても哀しい。
だからといって、飲酒を禁止されるのはもっと哀しい。
『なんでそんなこと言うのさ。おいらだって飲みたいよ! ちょっとくらいいいじゃないか』
「そうは言うけど、バンブルビー、酔ってるときの自分がどんな風か、自覚はあるの?」
『酔ってるときのおいら……?』
バンブルビーは顔を顰めて考え込んだ。
エネルゴン酒を飲むと、体がふわふわして、気持ちもふわふわして、楽しくなる。だから多分、そんな風なるんじゃないかと思う。つまり、ふらふらと体幹が定まらずアンバランスで、やたらテンションが高くて。
『……フラフラしてて、うるさい?』
もしかして、ものすごく、耐え難く煩いのだろうか。例えばあの双子よりも?
恐る恐るそう推測を述べたら、アーシーがまたため息を吐いた。
どういう意味のため息なんだろう。肯定だろうか。それとも否定だろうか。バンブルビーのスパークは不安で不規則に明滅した。
「ほら、やっぱり分かってないわ」
どうやら否定だったらしい。バンブルビーは思わずほっとしたけれど、だからといってまるで安心できるわけでもない。
『じゃあ、なんで駄目なのさ』
という、当初の疑問は(ついでに不満も)残るのだから。
拗ねた口調でそうメッセージを投げかけたら、アーシーが、聞き分けのないこどもに言い聞かせる母親みたいな顔をした。
「バンブルビー、いいこと? あなたは酔うと笑い上戸になってやたら楽しそうに笑って、……ああ、いいえ、誤解しないで。それは悪くないのよ。煩いわけでもないわ。でもそれだけじゃなくて、あなたったら、酔うととびきり甘えん坊になるのね」
『ええ!?』
初耳である。驚きのあまり、バンブルビーは思わず調子っぱずれのビープ音を鳴らした。
でも、だって、今まで誰もそんなこと教えてくれなかった。この地球までの長い航路、アーク号の中でささやかな酒宴を設けたことは数限りなく、それと同じ回数だけ、アイアンハイドもラチェットもオプティマスも、今はもういないジャズも、酔っ払ったバンブルビーを見てきたはずなのに。
恥ずかしい。もうそんなこどもじゃないのに、一体どんな甘え方をしたというのだろう。
目に見えて狼狽するバンブルビーを前に、アーシーが困ったように笑う。
「ふらふらして、ふわふわ蕩けちゃいそうに笑って、しなだれかかって、抱っこをせがんで、キスを大盤振る舞いして」
『わー!』
なんで、どうして。埒もないそんな疑問詞が、バンブルビーの集積回路をくるくると、ワルツのステップを踏むみたいに回る。
だって、どうして、アイアンハイドでもラチェットでも、誰でも良い、指摘してくれれば良かったのだ。そうすれば、そうすれば、……いや、記憶にないほど酔った挙げ句のことだからどうしようもないのかも知れないけれど、それでもどうにかしようと努力したのに!
バンブルビーはあまりの恥ずかしさに、体中を巡るオイルが急に熱くなったような錯覚を覚えた。
「酔ったあなたはそりゃあもう可愛くて可愛くて可愛くて、……可愛くてだから危ないわ」
『……え? なに?』
今何かヘンな単語が紛れ込まなかったか。最後に。……幻聴?
「あの方を、尊敬する気持ちに嘘はないけれど」
『アーシー?』
「ねえバンブルビー。忘れちゃ駄目」
こてんと首を傾げるバンブルビーに、アーシーは、この世の全てを見通す大賢人みたいに達観しきった目をして、厳かに言った。
「男はあまねく狼よ。気をつけなさい」
「ぶぇえっっっっっくしょォォオい!!!!」
「ぉわあびっくりしたァ!」
同時刻、滑走路近くに佇んでいたオプティマスが盛大なくしゃみをし、その足下にいたレノックスを飛び上がるほど驚かせていた。
たかがくしゃみと言う事なかれ。何しろ総重量10トンに及ぶ巨躯のくしゃみである。地面も揺れる規模だ。
冗談でなく寿命が縮むほど驚いたレノックスだが、落ち着けば何やら可笑しい。未だ鼻がむず痒いのか、しきりに顔をひくつかせているオプティマスを見れば尚更だ。思わず、声を立てて笑ってしまった。
その笑い声に、オプティマスの視線が落ちてくる。
「失礼した、驚かせたな」
「いや、うん、まあ驚いたけど。しかしオプティマス、あんたたちもくしゃみなんてするんだなあ」
「うむ、そうあることではないが」
「そうなのか。じゃあ珍しいものがみられたんだな。
でも出来れば次からは可能な限り予告してくれ。心臓に持病でもあったら、驚いた挙げ句におっ死んじまうレベルだからなあ、あのくしゃみの威力たるや」
ぽんと軽く足を叩いてそう言えば、
「善処しよう」
冗談なのか本気なのか、実に判断のしづらい神妙な面持ちで、オプティマスはそう頷いた。

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