リベンジ設定、映画後。
ディエゴ・ガルシア島に招かれたサムとミカエラ。天然司令官の恋愛相談室。
非常時下にないディエゴ・ガルシア島は、実に良いところだった。何しろ、空は青く海も青く、砂浜は白い。これほどバカンスに適したリゾートもなかろう。……海軍基地でさえなければ。
(まあ海軍基地だからこそ、このビーチを独占状態で遊べるなんて贅沢が可能なんだろうけど)
水着姿のサムはそう内心で独りごち、ちょっと力なく笑った。
ともあれ、背後に聳える厳めしい軍事施設を見さえしなければ、このビーチは最高の環境だった。何しろ、その白いビーチにはミカエラもいるのだ。しかもとびきりセクシーでゴージャスでマーベラスな水着姿で! これで楽しくならなきゃ男じゃない。
惜しむらくは、サムに、カナヅチより幾らかマシ、という程度の泳力しかない点か。サムはごく幼い時分にビニールプールで溺れ死にかけた経験があって、それが結構なトラウマになっている。はっきりいって、水は嫌いだ。
それでも一応男のメンツというものがあるので、ミカエラには必死にその事実を隠し誤魔化したが、なんだか見抜かれているような気がする。……考えるとちょっとでなく切なくなるので、サムはそれ以上そのことについて考えるのを放棄した。
しかしながらそんなのっぴきならない事情もあり、サムは青い海で人魚みたいに泳ぐミカエラを、砂浜に座って眺めるしかできないでいる。大変に目の保養になる光景ではあるが、些か切ない。
そんな気分で程よく熱せられた白い砂浜に座るサムの隣には、オプティマスがいる。
そしてオプティマスがいるからには、彼の視線の先にはバンブルビーがいる。
金属生命体であるオートボットに、塩分濃度3.5%にも及ぶ海水はあまり相性が良くない。そうバンブルビーの遊泳を渋ったラチェットを説き伏せたのは、勿論このオプティマスである。楽しげな電子音を響かせて、ミカエラと共に海と戯れ遊ぶバンブルビーを見つめるオプティマスの目は、こちらが恥ずかしくなってしまうほど優しい。
実のところサムは、この誉れ高きプライムが、サムの最初の車であり大事な友人でもあるカマロに寄せる想いの正体を、未だ計りかねていた。任務を離れ上官と部下の関係から解放されている時の彼らは、仲睦まじい親子のようであり、或いはもっと親密なもののようでもある。
もっと親密というのはつまり、そう、likeではなくloveのテイストで。
サムの認識に間違いがなければ彼らは二人とも男性型であるはずだが、まあこの地球でも同性同士の恋愛くらいそう珍しいものではない。相当に年の差もあるようだが、それだって特別禁忌というわけではない。彼らの間に介在する感情がloveだとしても、それは決してあり得ないことではないのだ。ましてや反対したりするつもりは、サムには微塵もない。寧ろ全力で応援する。
(正直気になる、けど、……ちょっと聞けないよなあ……)
信頼関係は揺るぎないものと自負しているが、だからといってそれは恋愛トークに花を咲かせられるような気安い仲になったという意味ではない。というか、どれほどに固い絆で結ばれても、やはりオプティマスがサムにとってそう気安い存在ではないのだ。
何しろ彼は、プライムだから。
気安いと言えばバンブルビーだが、やはり彼にも恋愛トークの矛先を向けるのは憚られる。最も親しい友であり頼もしい相棒でもあるバンブルビーは、同時にサムにはなんだか弟のようにも思える存在なのだ。無邪気でいとけなく、純真で。どうしてそんな「弟」に、恋愛ネタなんて生々しい話題を振れよう。後ろめたさや背徳感が重すぎて、到底そんな真似出来やしない。
無論、彼の方がサムより遙かに年上だということは分かっている。けれど、こればかりは感覚的な問題なので如何ともしがたい。
気になって仕方がない、が、オプティマスにもバンブルビーにも聞けない。打つ手はないのか。
「サム」
オプティマスが話しかけてきたのは、そんな埒もない思案に暮れていた時だった。あまりといえばあまりのタイミングに、サムの心臓はひととき乱れる。
だがオプティマスの目は相変わらず優しく、語りかけてくる声は穏やかだった。見透かされていたわけではないのだと、サムはほっと胸を撫で下ろした。
……が。
「実は私には、以前からずっと不思議に思っていたことがある。こうして楽しそうにはしゃぐバンブルビーを眺め、彼の笑顔に触れる度、この胸のスパークが震えるようなざわつくような、何とも言い難い状態になるのだよ」
何この話題! このタイミング!
せっかく落ち着きかけていたサムの心臓が、また俄に暴れ出す。本当に考えを読まれているわけではないのだろうか。
いや、分かっている。オートボットたちにテレパスの能力はない。あの忌まわしいドクターの、パラサイティック・ワームみたいなロボットを使えば思考を盗むことも可能だが、アレは例外中の例外だ。だから本当に、これはただの偶然なのだ。
かなり劇的ではあるけれど。
「スパークの不規則な戦慄きは、危うくも心地よい。
ずっと不思議だった。これは一体何なのだろうと」
オプティマスの声は、なんというか渋い。そしてセクシーだ。朗々とした低音は、如何にも成熟した大人の男のものである。実はサムは、この声がちょっと羨ましい。
自分の声も、こんなセクシーなバリトンだったら良かった。こんな声で愛を囁いたら、きっとミカエラだって一発でメロメロになるに違いないのに。
そのセクシーな声が、サムに語るのだ。彼の胸を妖しく騒がす衝動を。サムは、ちょっとでなくドキドキした。ついでに尻がむず痒い。なんだか恥ずかしくていたたまれない。でももっと聞きたい。羞恥心と好奇心が鬩ぎ合う。まだプライマリスクールに通っていた頃、初めてポルノを見てしまった時の感じと非常によく似ていた。
「だが漸く分かったのだ。この地球のネットワークの海に沈みありとあらゆる情報に触れていたとき、私は私のこの気持ちを表現するのに、最も相応しい単語を見つけた」
「……オプティマス」
サムの心を一頻り掻き乱したオプティマスは、穏やかで、それでいてどこか誇らしげな顔で言った。
「“萌え”だ」
と。
「…………………………………………ハイ?」
サムは真剣に、我と我が耳とを疑った。今、最もあり得ない人物の口から最もあり得ない単語が飛び出しはしなかったか。幻聴か?
……幻聴で、あって欲しい。さもなくば自分の耳がイカレた末の聞き間違えでもいい。あの発言が、真実のものでなくなるならば。
サムの心の平穏のためにも。
「ちょっと待って、オプティマス、ねえ、今きみなんて言ったの?」
しかしサムの願いは、儚くも潰える。
オプティマスは微かだが確実に嬉しそうな顔で、やはり誇らしげに繰り返した。
「“萌え”だと言ったのだ、サム。バンブルビーの笑顔や無邪気にはしゃぐ姿は、私にとってこの上なく“萌え”なのだ」
……幻聴じゃ、なかった。
聞き間違えでも、なかった! 最悪だ!
「あー、そのー、オプティマス、一体どこでそんな単語を?」
「日本という極東の島国だが。サムは聞いたことはないか?」
「……いや、うん、ぼくも知ってるんだけどね……」
残念なことに。
何しろサムはちょっと、……結構、オタクなもので。
そう、オタクなもので、サムにもよく理解できる。その、“萌え”なる単語の意味も活用法も、とてもよく。理解できるが、理解できるからこそのこの果てしない脱力感だ。
だって、この誇り高きオプティマス・プライムが、萌え。
よりにもよって、萌え。
(何なのさそのチョイス!)
サムは俄に、強烈な眩暈を覚える。インド洋の晴れ渡った空の青さが目に痛い。思わず頭を抱えて砂浜に横倒れになったサムに、オプティマスが労しげに声を掛ける。
「サム、どうかしたかね?」
「……いいや、なんでもないよ。ただちょっと、……そうちょっと、疲れただけ」
「そうか。このディエゴ・ガルシアまでは、地球人の君にはかなりの長旅であるようだからな。疲れているなら無理をせず、少し休むがいいだろう」
「ありがとうオプティマス。……本当に」
疲れ切ったサムの返答に、オプティマスが満足げに頷いた気配がした。
(バンブルビー、ぼくは別に君を見くびってたわけじゃないけど、今日ほど君をすごいと思ったこともないよ。あのオプティマスをここまでトチ狂わせるなんて、君って実はものすごくデンジャーな魅力の持ち主だったんだね……)
疲労困憊して鬱々と考えるサムに、オプティマスの陶然とした呟きは容赦なく降りかかる。
「ああバンブルビー、そんなに無邪気に水と戯れて……! なんて“萌え”なんだ!」
(もう駄目、色々駄目、何もかも駄目! お願いだから赦して、もう勘弁してよオプティマス!
助けてミカエラー!!)
サムは必死に、心の中でSOSを叫んだ。しかし悲しむべきかな、極めて平均的な地球人であるサムもまた、オートボットたち同様テレパス能力は持ち合わせていない。故に彼のSOSは、彼の心の中に空しく響き渡るのみだ。
正に孤立無援である。
最高のビーチに横たわり、サムは声もなく涙に暮れた。空と海は、どこまでもどこまでも青かった。

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