アーク号にて。
ジャズ×バンブルビー。スキンシップ魔ジャズの正体。
陽気でおしゃべりなのに、クールで、スマートで、クレバー。
そしてスキンシップ魔。
それがバンブルビーが、ジャズについて抱いている印象だった。これは彼と出会って以来、ただの一度もぶれたことがない。喧嘩っ早いようでいて冷静だとか、実はバンブルビーと同じくらい好奇心旺盛だとか、付き合いが長くなるにつれ付加される項目は多々あれど、根幹の部分は決して揺るがないのだ。
ジャズは、クール、スマート、クレバー、そのくせトーカティブでボディ・コンタクトが大好き。
フィジカルなふれあいを好むのは、実のところバンブルビーも同様だった。自分以外の誰かの排熱が感じられる距離というのは、バンブルビーにとって無性に安堵するものなのだ。特に、この広大なアーク号にたった五人、いつ終わるとも知れない航路のただ中にあるような時は。
バンブルビーは確かに極めて勇敢な兵士だが、さりとて未だ完全に幼さを切り捨てられる年ではなく、だから時々は、無性に誰かの傍にいたくなる。そして出来るなら、抱き締めて貰いたくなる。そんなことを言うのは恥ずかしいし、バンブルビーにだってプライドというものがあるから、実際に誰かにそうして欲しいと願ったことはないけれど(だからバンブルビーは、彼が一言そう願えば、一も二もなく喜んで抱き締めてくれる面々ばかりに囲まれていることを未だ知らない)。
そうだ。バンブルビーは、「誰かに抱き締めて欲しい」なんて願うのは、こどもっぽい、恥ずかしいことだと思っている。そして自分の中にあるそんなこどもっぽさに対して、抵抗感と諦めを持っている。何しろこのアーク号のメンバーは、バンブルビー以外誰も彼もが大人だった。オプティマス、アイアンハイド、ラチェットの三人は言うまでもなく、一番製造年が近いジャズでさえ、比べるのも馬鹿馬鹿しくなるほどバンブルビーより年嵩なのだ。そんな彼らに始終囲まれていては、バンブルビーとて自分の幼さを認めざるを得ない。詰まるところ、バンブルビーは自分がうんざりするくらい幼いことを、いやいやながら自覚しているのだった。
そう。バンブルビーはまだ少しばかりこどもで、だから大人の気持ちが分からない。
大人でも、誰かにくっつきたくなる時ってあるのだろうか。
(だからジャズは、いつもおいらにくっつくの?)
ずっと不思議に思っているが、直接尋ねたことはない。理由は、バンブルビー自身にもよく分からない。
或いはもしかしたら、尋ねたところでジャズが素直に本当のことを教えてくれるわけがないと、そう感じているからかも知れない。あのクールな副官は、実のところ相当嘘が上手なのだ。一体何度、彼の吐く他愛もない嘘にバンブルビーは騙されたことだろう。
しかも、その嘘が時々酷く優しいものであるからまた質が悪いのだ。
そもそも、バンブルビーには常から不満に思っていたことがある。スキンシップ魔だと信じて疑わない副官だが、彼がボディ・コンタクトを仕掛けてくるのは専らバンブルビーに対してだけなのである。それ以外、ラチェットにも、アイアンハイドにも、勿論オプティマスにも、ごく軽度な――――それはつまり、相手の装甲をぽんと叩いたり、軽くこづく程度の本当にごく軽度な――――接触以外、彼が自ら進んでしているのを見たことがない。何分船内は広いし、もしかしたら自分が見ていないところでは違うのかも知れないが、少なくともバンブルビー自身が彼から濃度の高いスキンシップをはかられている時は、人の目の有無について考慮されたことはなかった。ジャズは周りに誰がいようがいまいが、彼のしたいときにしたいスキンシップをバンブルビーに対してするのだ。
頭を抱え込んで撫で回したり、肩を抱いたり腰を抱いたり、それでも飽きたらず抱き締めたり。本当に、実に濃度の高いスキンシップを。
バンブルビーに対してだけ。
どうしてバンブルビーに対してだけなのか。考えられる可能性は二つある。もしかしたらもっとあるかもしれないが、少なくともバンブルビーが脳内のプロセッサーをフル稼働させてはじき出した可能性は二つだった。
一つは、体型の類似だ。ジャズは歴戦の勇士だが、そんな華々しい戦歴に反して、彼のボディはオートボットの中でも小型・軽量の部類に入る。(余談だが、この事実はジャズと同じように小型・軽量なバンブルビーを大いに勇気づけている)
だからもしジャズがバンブルビーと同じようなスキンシップを、アイアンハイドやラチェット、さもなくばオプティマスに仕掛けようとすると、目指す行為は同じでも、結果は大いに変わってくるのだ。ジャズに気安く彼らの頭を撫でることなど出来まいし(高さの問題)、肩や腰を抱くのも同様、もし抱き締めようとすればそれは、ジャズが一方的にしがみついているようにしか見えないだろう。
そんな行為を、ジャズが自ら好きこのんでしたがるとは思えない。だって全然クールじゃない。
そしてもう一つ。バンブルビーにとってより許し難いのは、もしかしたらジャズがバンブルビーのことをこども扱いしているのかもしれない可能性だ。つまり彼が進んでバンブルビーに対してのみ高濃度のスキンシップをはかるのは、彼にしてみればこどもをあやしている気分なのかもしれないということ。
バンブルビーは確かに、彼らと比べたとき、自分が彼らより遙かにこどもであることを自覚している。しかし自覚することと、他者からもそう見なされ扱われることとは全然違う。大いに違う。それはバンブルビーにとって、甚だ不本意で受け入れがたいことだった。バンブルビーは確かにこどもかも知れないが、それでもオートボットの兵士だ。多少幼くとも、誰より勇敢に戦ってみせる。経験不足は否定しないが、だからといってこども扱いを受ける謂われはない。
もしジャズのスキンシップの理由が二つめの可能性ならバンブルビーには腹立たしいが、だがそうだとすれば奇妙なのは、彼はスキンシップ以外の面では決してバンブルビーをこどもと侮ったりはしない点である。寧ろアイアンハイドやオプティマスのほうが、バンブルビーを時々酷く己の庇護下に置きたがっているように思える。
それなら一つめの理由なのだろうか。だがそれもやはりしっくりこないような気がして、バンブルビーはしきりに首を傾げた。
そして結局、未だに結論には至れないままなのだ。
だが、理解できない行為というのは何とも据わりの悪いものである。先述の通りバンブルビーだってフィジカルなふれあいは好きだけれど、ジャズのそれはあまりに不可解である。彼の真意はよく分からないまでも、バンブルビーがただ単純にほんの少しの寂しさから誰かの傍にいたくなったり、抱き締めて貰いたくなったりするのとは種類が違うというのは分かる。
詰まるところバンブルビーはジャズが仕掛けてくる過度のスキンシップに困惑していて、それ故にちょっとばかり尻込みしているのだった。
***
何千年と続けているルーチンワークであるアーク号の保守点検作業を終えて、バンブルビーが船内の通路をメイン・ルームに向かって歩いているときだった。右手の通路から姿を現したジャズが、いつもの通り、親しげに肩を抱いてくる。
「よう、ビー。仕事は終わったのか?」
『うん、いつも通りにね』
「そいつは重畳だ。いつも通りってのはこの船にあっちゃ堪らなく退屈だが、退屈ってのはつまり平和と同義でもある。そうだろ?」
『そうかも。あんまり平和すぎて時々刺激が欲しくなるけど、ディセプティコン絡みでない刺激なんて滅多にないし、ディセプティコン絡みの刺激に巻き込まれるくらいなら、退屈の方がよっぽどマシだしね』
軽く肩を竦めてそうメッセージを送信したら、その瞬間、バイザーの下でジャズの目が妖しく光った。……ような、気がした。バンブルビーはとびきり観察眼に優れているが、そんな彼の目を以てしてもそれはそう定かではない。何しろあんまり一瞬だったから。
『ジャズ?』
「……おいおい、ビー、お前も随分言うようになったじゃないか。退屈だから刺激が欲しいだって? そいつの意味が分かって言ってるのか?」
『意味?』
電子のメッセージはしごく無味乾燥なしろものだが、それを補って余りあるほどバンブルビーの表情は多彩で雄弁だった。彼はありありと困惑を浮かべて、ジャズに問い掛ける。
『意味って何のこと?』
困惑したのは、何もジャズの発言の真意を測りかねたせいだけじゃない。軽妙な口調でバンブルビーにはよく分からないことを言いながら、ジャズがバンブルビーの腰までも抱き寄せたからだ。
『ジャズ? なに?』
バンブルビーは困惑していたし、些か混乱もしていた。視線の照準をジャズに合わせようとしたら、背後からすっかりバンブルビーを抱き込むようにして肩に顎を乗せている彼との距離が想像以上に近くて、バンブルビーは更に困惑し混乱した。
「何、だって? 鈍いこと言うなよ、ビー。これこそが刺激ってヤツさ。しかもとびきりの、な」
『おいら分かんないよ、ジャズ』
胸の奥のスパークが、不規則で不安定に明滅するのが分かった。不安なのは、つまりバンブルビーだ。誓って彼は臆病者なんかじゃないが、それでも今彼の脳内プロセッサーを混乱させ迷走させている感情に名を与えるならば、それは「恐い」というのが一番適当だった。
別に泣きたい訳じゃない。だけど、両目が泣き出す直前みたいにゆらゆらしているのが分かった。それを目にした眼前のジャズが、すっと両眼を眇めるのも。ディセプティコンを前にした時の彼の目に似ているようでいて違う。でも、それに一番近い。
獲物を見つけた狩猟家の目だ。
分からない。今一体何が起こっていて、そしてこれから一体何が起ころうとしているのだろう。
『――――――!』
混乱の極致に至ったバンブルビーは、吸着式クローの爪先に酷く繊細な動きで脚部付け根のジョイント付近を擽られ、引き攣った電子の悲鳴を上げた。
『やめて、ジャズ!』
「やめろだって? 馬鹿げたこと言うなよ、相棒。お前は刺激を待ち望んでた。俺もだ。
俺も待ち望んでた。お前がそれを待ち望むのを」
『何言ってんのか全然分かんない!』
「分からなくともいいさ。俺が教えてやる。ビー、お前が今分からなくて怯えてることの何もかも全て、俺が教えてやる」
恐ろしく甘ったるい声で囁かれ、バンブルビーは震え上がった。ジャズの爪先が繊細でいて大胆な動きでバンブルビーの装甲を擽る度、脊柱が痙攣しスパークが戦慄く。立っていることさえままならない。今にも崩れ落ちそうな体はジャズが危なげなく支えてくれたが、それにより更に彼我は密着して、バンブルビーは堪らず藻掻いた。
『やだ!』
だが、それは抵抗と呼べるほど力強いものではなかった。大した意味も成さなかった。バンブルビーの藻掻きに対するジャズの反応といえば、なんだか酷く愉しげに、発声モジュールを震わせて笑うばかり。
バンブルビーはそれに腹を立てたけれど、だからといってその怒りが抵抗に結びついた訳でもない。その頃になると彼はすっかり力を失って、ジャズの爪先の動き一つに翻弄されるばかりだったのだ。
『おいらもうやだったら! ジャズ!』
必死に訴えても、ジャズは笑うばかりで取り合ってくれない。バンブルビーはいよいよ泣きそうだった。泣くもんかと思っても、オイル混じりの水分は容赦なく目を湿らせてくる。
バンブルビーは本当に色々限界で、もうこれ以上は少しだって耐えられなくて、……だから叫んだ。
『やめて! これ以上するなら、おいらジャズのこと大嫌いになるよ!』
***
己のラボへと近づく軽やかな足音を聞きつけ、ラチェットはふと顔を上げる。上げた顔には、何とも楽しげな笑みが浮かんでいた。
ラチェットがその足音を感知してからきっかり30秒後、ラボの扉が開いた。来訪者一人を招き入れ、扉はすぐに音もなく閉まる。アーク号のシステムは、今日も問題なく機能しているようだった。
『ラチェット!』
「やあおちびさん。どうしたね?」
そう揶揄して呼ぶと、バンブルビーは目に見えてむくれた。その素直さが斯くもラチェットの揶揄の要因になっていることに、彼は気付いていないのだろう。
しかし今日は、ラチェットの揶揄に腹を立てるよりも更に大きな喜びが、どうやら彼にはあるらしい。如何にもこどもっぽいふくれ面をすぐに払拭し、バンブルビーが笑った。
彼が笑うと、倦怠や疲弊といった闇がそこかしこにこびりついているこの船内にさえ、明るい日差しが差し込むようだった。ラチェットは物理的でない眩しさを感じ、無意識に目を細めた。
「何やら随分とご機嫌なようじゃないか。そんなに良いことがあったのかね?」
『そうなんだ! だって、ねえ、ラチェット、ラチェットってすごいんだね!』
「ほう。あれだけ私のリペア技術に散々世話になっておきながら、今更気付いたのか」
したり顔で嘯いてやれば、見る間にバンブルビーがしょぼくれる。ああ全く、なんて他愛のない。……なんて可愛い。
『そうだけど、そうじゃなくて……。ラチェットのリペアがとびきりにスペシャルだってことは、おいら昔からよく知ってるよ。うん、その、身を以てさ』
「それは良かった。私も腕を奮った甲斐があったというものだな。
だがそれじゃあ、私について一体どんな「すごいこと」を今頃発見したのか、是非とも教えて貰おうか」
その途端、バンブルビーはまた顔を輝かせた。きらきらと、本当に眩しいほど。
『そう! だって、本当にラチェットの言うとおりになったんだよ!』
「私の言うとおりとは?」
『ラチェット、おいらにアドバイスしてくれたろ。ジャズのスキンシップに困ったら、こう言えばいいって』
バンブルビーのその発言に、ラチェットはそうと分からないほどささやかに、片眼だけを眇めて見せた。
どれくらい前のことだろうか、そう昔の話ではない。ラチェットはバンブルビーに、一つの相談を受けたことがあった。
『ジャズって、ボディ・コンタクト大好きだよね。その、……すっごく』
と。
「ほう?」
初耳である。そんな話は聞いたことがないし、身を以て経験したこともない。アイアンハイドに聞いても、オプティマスに聞いても同じ返答があることだろう。結論として、ジャズがバンブルビーの言うようなスキンシップ魔だという事実はない。さりとて、バンブルビーにそんな嘘を吐く理由もない。
ならば真実は一つ。
確かにジャズはスキンシップ魔である。但し、バンブルビーに対してのみ。
だとすれば、より正確に述べるならば、それは単なるボディ・コンタクトではなくアプローチであろう。
「バンブルビー、お前はそれがいやなのかね?」
『え?』
「ジャズのボディ・コンタクトを鬱陶しいと感じ、それに辟易しているのかね?」
そう問えば、目の前の幼いメカノイドは、困惑も露わに俯いた。
『おいら別に、いやな訳じゃないよ。でも時々、……そう、時々、なんだかおいら色々分かんなくなって、それでものすごく困っちゃうんだ』
バンブルビーの返答に、ラチェットはふむと頷いた。なるほどやはり、半ばまで想像していたとおり、バンブルビーはジャズの真意に気付いていないようだった。だが本能的にその未知の狂熱を嗅ぎ分け、しかしその正体を知るには至らずに、戸惑い困惑してしまうのだろう。
バンブルビーは幼い。そして、ごく幼少期から戦場ですごさざるを得なかったことの弊害もあろう。恋情という衝動は彼にとって、知識としては知っていても実感としてはあまりに朧気で遠いものなのだ。だから、自分がその対象にされても気付かないし、気付けない。
ここで教えてやるのは簡単だ。
「バンブルビー、ジャズはお前に惚れているのだ。実に狂熱的な恋情で以てな」
と。
だが生憎、甘やかすのは主義じゃない。
甘やかしてやる義理もない。
……誰に対してそう思っているかは、この際些末な問題だ。
ならば残る問題は、心底困り果てているこの幼いメカノイドの相談事だけ。だからラチェットは、恐らく最も効果的であろう拒絶の言葉を、彼に教えてやったのだった。
『おいら、ラチェットに教えて貰ったとおりジャズに言ったんだ。これ以上したら、おいらジャズを大嫌いになっちゃうよって! そしたら、すごいんだ! ジャズ、本当にぴたっと止めたんだよ! それまでどんなにおいらがいやがっても止めなかったのに、ラチェットの言ったとおりに!』
スゴイスゴイと無邪気に喜ぶバンブルビーを前に、ラチェットは大笑いしてしまわないよう必死に堪えねばならなかった。
ジャズはバンブルビーに惚れ抜いている。バンブルビーが心底可愛くて愛しくて仕方がないのだ。それほど惚れた相手に「嫌いになる」などと言われたら、あの海千山千の副官もさぞ肝を冷やしたことだろう。そりゃあ瞬時にやめもする筈だ。
「それでご機嫌なのか、バンブルビー。思った通り、思った以上に作戦が上手くいって?」
問えば、やはりキラキラと眩しい笑顔で彼は大きく頷いた。
『うん。だって、ねえ、ホントに、嫌いになるよって言った途端止めたんだよ、ジャズ』
「そのようだな」
歌うように踊るように、彼から放たれる電子のメッセージは、生き生きと彼の喜びを伝える。嬉しくて嬉しくて堪らないと。
そして、バンブルビーは言ったのだ。
『それって、それってさ、ラチェット。ジャズはそれだけおいらのことが好きってことだよね。おいらに嫌われたくなくて、大好きなボディ・コンタクトをすぐにやめるくらい!』
ラチェットは、らしくもなく、些かばかり唖然とした。
そしてその驚愕を漸うやり過ごすや、今度こそ堪えきれずに笑い出す。全く、……全くなんてことだ。
陽気で可愛いこのムードメーカーは、どうやらとんだ小悪魔だったらしい。しかも自覚は皆無と来てる。
これを厄介と言わずしてなんという?
「なんともはや……ジャズも苦労しそうだな」
『え? ラチェット、何?』
不思議そうに覗き込んでくるバンブルビーをあしらいながら、暫くの間ラチェットは笑い続けたのだった。

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